「四季彩館」は、蔵のまち喜多方の歴史、文化、風土の情報がわかる展示型のインフォメーションセンターです。
喜多方の歴史と現在が豊富な資料を通してわかりやすくご覧いただけます。
各種パンフレットや手作り喜多方読本シリーズものまで、お持ち帰りの出来る資料も備え付けております。
四季彩館は、レストランふるさと亭の北側、ステージのあるちょっとお洒落な蔵づくりの建物です。市民ギャラリ−となっていて、入場無料です。是非、お立ち寄りくださいね。
昭和55年2月、当時の青年会議所理事長小林俊雄を中心に「会津喜多方蔵太鼓」が創設され、同年8月の喜多方夏祭りに演奏披露された。作曲は、小林理事長と縁があった「寺内タケシとブルージーンズ」で知られる寺内タケシによるものである。
太鼓構成は、大太鼓小太鼓各4、酒樽8、笛数本、半鐘1、鉦2で総員50から60名。曲は4曲からなり1番「蔵太鼓」2番「酒蔵太鼓」3番「地吹雪太鼓」4番「乱調乱れ太鼓」。
奏者の衣装は襟に「会津喜多方蔵太鼓」と染めた法被(はっぴ)に半幅帯(はんはばおび)を締め、赤の鉢巻と両たすき、群青色の手差しと脚半(きゃはん)をつけて、白足袋に草鞋(わらじ)を履く。
春の彼岸に祖先の供養として踊ることから彼岸獅子と言われる。市内には、関柴町下柴と松山町中村に伝えられ、寛永年間に伝来したものと考えられている。
演目のうち、弓舞(弓くぐり)は、迫力があり、雌獅子かくしは劇的で筋がある。弓舞は、太夫獅子が弓に近づいては離れ、ついにそれをくぐり抜けるという技を見せる。雌獅子隠しは、太夫獅子と対であった雌獅子を雄獅子が一旦奪うが、ついに太夫獅子に取り返されるという筋を力強く演じる。市内の二地区の雌獅子かくしは、伝承のなかでやや簡略化されてはいる。
しかし、多くの彼岸獅子で、この舞は廃絶したところが多いだけに、今では貴重な存在である。
市内の多くの町内や集落には、祭り囃子が伝えられている。これを奏する屋台を太鼓台と言っている。
一般に山車と言えば作り物を飾ったものを指すが、市内のものにはなく、いずれも四つ車で障子張りの二重にしたものが多く、この系統の屋台では古風な姿を留めている。
これらの太鼓台が鎮守の祭りに町内を練り歩くが、市内の規模としては、毎年8月2、3日に行われる小荒井地区の北宮諏方神社祭礼、小田付地区の8月10、11日に行われる出雲神社大例祭の祭礼が大きい。
四季彩館に展示されているのは、市内花園町の太鼓台で新調した際に譲り受けたものである。
染型紙は、和紙2〜3枚を柿渋で貼り合わせたものに、着物などの柄を彫ったものである。ステンシルと呼ばれ、シルクスクリーンと同じ孔版版画の一種である。
かって、学校や役所で使用されていた謄写版印刷と原理は同じであるが、紙に模様を彫って染色に応用しているのは日本と中国ぐらいである。日本の染型紙は芸術性、精緻性から世界に類をみないものである。
染型紙の本場は江戸時代から、三重県鈴鹿市白子であるが、東北各地の染屋から発見される染型紙をみると、喜多方の小野寺家で作られたものが多く発見されており、伊勢白子(いせしろこ)、京都、江戸に次ぐ第四の生産地として注目されている。
それら、喜多方小野寺家に伝わる染型紙の資料を展示している。(2Fギャラリー)
喜多方はどうして蔵がいっぱいあるの?喜多方ラーメンの秘密はなあーに?そんな疑問にお答えする簡単な読本(A4サイズの単枚ペーパー)を各コーナーに用意しております。ご自由にお持ち帰りください。
毎年、道の駅を訪れていただく皆様に感謝を込めて、「喜多の郷祭り」を蔵の湯前広場、四季彩館ステージなどを利用しながら開催しています。
一枚目は、四季彩館ステージでの地元県立喜多方高校吹奏楽委員会の生徒さんによる演奏。二枚目は、会津の人なら誰でも知っている会津磐梯山のお囃子に乗って踊る庄助おどりの模様です。
四季彩館内にてギャラリー展示をしております。
蔵太鼓、太鼓台、彼岸獅子(松山町中村)、地元物産品(サンプル)、会津型染型紙(2F)、市民フォトギャラリー(2F)
午前9時〜午後5時まで
無料
〒966-0901
福島県喜多方市松山町鳥見山字三町歩5598-1
TEL:0241-21-1139