蔵の紹介

蔵の里に移築、保存されている蔵の紹介です。


旧井上家穀物蔵

旧井上家穀物蔵

茅葺きを瓦葺きに再生し、片開きの土戸の鍛冶金物は当時のものをそのまま使っています。

墨書きに「慶応四戊辰年 小沼村甚五郎作 辰三月建前作之」とあります。

会津型紙の資料を展示

喜多方は、伊勢白子、京都、江戸と並ぶ染型紙の生産地でした。当地で生産された渋紙に、ファッション性豊かな文様が彫りぬかれているのです。


旧唐橋家味噌醸造蔵

旧唐橋家味噌醸造蔵

間口3間半×奥行8間の旧味噌醸造蔵です。

内部は木造トラス組の架構をあらわし、2階吹き抜けの大きな空間を形づくっています。

金田実氏 蔵写真展示

昭和40年代の後半、どんどん壊されていく運命にある「蔵」に一抹の寂しさを感じて、蔵を撮り続けていたまちの写真家がいました。生活の中に深く息づいた蔵の姿は、見る人に大きな感動を与えて、次第に「蔵のまち喜多方」を訪れる人々が増えて来たのです


座敷蔵

座敷蔵

座敷蔵には居間と書院座敷、前室があり、蔵を母屋内に取り込む手法を再現しています。

座敷蔵は男の浪漫「男40歳にして蔵のひとつも建てられないようでは男でない。」とも言われ、蔵を建てることが生涯の夢とされたのです。心意気と浪漫の世界を感じてください


勝手蔵

勝手蔵

店蔵から座敷蔵、勝手蔵と続く配置は喜多方地方の典型的な商家の構成となっています。

二瓶 清コレクション(考古学的収集資料)展示

会津の津は、川を意味します。会津の地には古来より多くの人々が住み、文化を育んで来たのです


旧猪俣家穀物蔵

旧猪俣家穀物蔵

かつての宿場町、熊倉にあった蔵で、屋根、窓の配置など均整が取れ、観音開きの扉の意匠も美しい当地方の典型的な穀物蔵です。

明治の社会慈善家 瓜生岩子刀自の資料を展示

喜多方に生まれた瓜生岩子は、明治時代の初めに社会慈善家として活躍し、今日の日本社会福祉の礎を築きました。その功績により藍綬褒章を受けています。

東京浅草の浅草寺観音様の境内にも銅像があります。「刀自(とじ)」とは、年配の女性に対し敬意を払って使う言葉です。

厳しくも貧しい時代に、我が身をけずって人のために生きた女性です。岩子は、69歳で明治30年(1897)に亡くなりますが、その一生は、私心なく、常に社会の弱者の味方となり、子供の健全育成に努め、まさに仏の菩薩行と評されるものでした。


郷頭屋敷 旧外島家住宅

郷頭屋敷 旧外島家住宅

江戸初期から幕末まで慶徳町豊岡地区で、郷頭を務めた外島家の住宅で、主棟および曲がり棟の創建は明和8年(1771)との記録が残っています。

昭和63年5月に解体の報が市教委に入り、急きょ調査に着手しました。

その後、市教委の機敏な対応と外島家の全面的な協力により、平成元年に建物解体、平成2年に現在地に復元、組み立てが慎重に進められました。


旧冠木家店蔵

旧冠木家店蔵

もとは呉服商の店蔵で、三方に下屋が取り付いた特徴的な外観を持っています。

明治初期の建築と推定されていますが、江戸期の店蔵の形式をとどめています.。

また、明治初中期の大規模な呉服店の店蔵を象徴する二重屋根形式の優れた建築的構成を持つ点で、喜多方の住文化の保存継承に重要な意味を持つ建築物です。

板戸が上から引き出されるようになっていたり、土間の幅は、店員が働く板の間と帳場に比べきわめて狭く、応対する店員よりも客の数が増えないようにという昔ならではの配慮が伺えます。

本施設への入場受付の機能を持っています。喜多方のお土産販売もしております。どうぞご利用ください。


旧東海林家酒造蔵

旧東海林家酒造蔵

大正12年に建てられたこの蔵では、かつての銘酒「白山」が醸造されていましたが、昭和7年「夢心酒造」が譲り受け、倉庫として使われてきたものです。

蓮沼門三先生資料展示(1階)

社会教育団体である修養団の創設者蓮沼門三先生は喜多方市山都町に生まれました。明治39年2月東京府師範学校在学中に修養団を創設しました。

渋沢栄一らの援助を受け、我が国青年運動の草分けとされます修要団の主幹として70余年にわたり日本の社会教育の形成・発展に尽くしました。

連絡先

財団法人修養団福島県連合会喜多方事務局

電話0241-22-0033(甲斐商店内)

自由民権運動喜多方事件資料展示(1階)

明治15年11月、弾正ヶ原及び喜多方警察署を舞台として、いわゆる喜多方事件が発生しました。

歴史的にみて、喜多方地方は陽明学系の中江藤樹の学問が伝わっていました。

会津藩や幕府は朱子学を唯一の学問としていたのですが、「知行合一」を唱え「知ることは行うこと」を説く学問が好まれていました。

郷土の先人達が、何を考えどんな行動を起こしたのか?その行動は、我が国の民主主義の源流を辿るものです。

喜多方地方郷土資料展示(2階)

熱塩加納町、塩川町、山都町、高郷町、西会津町の資料や、押切川廃川敷きの活用計画資料を展示しています。


肝煎屋敷 旧手代木家住宅

肝煎屋敷 旧手代木家住宅

江戸後期から明治初期まで、下三宮村の肝煎を務めた手代木家の住宅です。

異色ある間取りや鍵型に曲げられた造りなど江戸後期の形態をとどめています。

現在地の南角に位置する座敷棟は、幕末近くの増築ですが、移築に当たってはこれらも保存し、明治元年の農民一揆打ち壊しによると伝えられる多数の柱傷もそのまま残しています。

明治元年ごろの農村社会を物語る大きな意義が認められ保存することが適当であると認められたものです。